天空の城ラピュタを読む

天空の城ラピュタは1986年に公開された宮崎駿氏が監督したスタジオジブリの第1作となるアニメーション映画です。公開から数十年経過した現在でもファンタジー作品として世代を超えて人気のある作品で、テレビでもたびたび放送されています。 このサイトでは宮崎アニメの代表作のひとつ「天空の城ラピュタ」を個人的な感想を紹介しています。本サイトに記載されている「天空の城ラピュタ」に関する記述はあくまで個人的な解釈であり、作品のイメージを壊したくない方は読まないことをお勧めします。また、本サイトを閲覧することで生じるいかなる事故や問題、被害についても当方は一切責任を負いかねます。ジブリ作品の著作権をもつ企業とも一切関係ありませんのでご了解下さい。

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ユートピア

天空の城ラピュタは、ラピュタ人の科学の粋を集めてつくられた人工的なユートピアです。それは同時に全地上を支配する恐怖の帝国として存在していました。ラピュタはロボットをはじめとする人類の英知を超えた科学技術によって管理された世界であり、そこにはラピュタ人をはじめ様々の生物が暮らしていたはずです。つまりラピュタとは人が創造した小さな地球のようなものです。
滅びの言葉によってラピュタが崩壊していくと、最後に残ったものは一本の大きな樹でした。この樹から連想するものは“生命の樹”です。生命の樹とは旧約聖書の創世記にエデンの園の中央に植えられた木のことで、カバラではセフィロトの木と呼ばれています。生命の樹に関する解釈は様々ですが、シータの「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットをあやつっても、人は土から離れて生きられないよ」というセリフから解釈すれば、土があるから生命の樹が育ち、人は地に足をつけてでしか生きられないという現実を突きつけているのです。子供たちが空想する「空を自由に飛びまわりたい」という夢から、現実へと引き戻されたわけです。それは子供が大人へと成長していくなかで、誰もが経験していくことなのかもしれません。

破滅の言葉

破滅の言葉の意味するものに注目してみましょう。ラピュタが欲望に支配された大人たちの手の中に落ちそうになったとき、シータとパズーは破滅の言葉を口にすることを決意します。2人が破滅の言葉“バルス”と叫んだ瞬間に強烈な光が発せられ半球体の内部が轟音をたてて崩れ、凄まじい音をたててラピュタは崩壊を始めます。このときラピュタから逃げ出すドーラは次にようなセリフを言っています。「滅びの言葉を使ったんだ。あの子たちはバカどもからラピュタを守ったんだよ」。ここで気になるのが、ラピュタを“守る”という意味です。破滅の言葉とはラピュタを崩壊させる呪文なのに、その呪文がどうしてラピュタを守ることに繋がるのでしょうか?
つまりラピュタ帝国とはラピュタ人たちが英知を超えた科学技術を使って創造したユートピア(理想郷)であり、欲望に支配された大人たちが入ることのできない楽園なのです。その楽園を欲望に利用されるくらいなら、自らの手で楽園そのものを壊してでもユートピアを守ったということです。もっと言えば、欲望に支配された人間は、決して楽園にたどり着くことは出来ないというメッセージなのかもしれません。

飛行石とは何か?

シータとパズーにとって飛行石とは絶対的な存在です。それは「愛」であり「正義」であり「力」でもあります。絶対的なものとは「神」と同義と言えるでしょう。なぜならシータとパズーは飛行石の名において破滅の言葉を口にしているのです。なぜシータとパズーに破滅の言葉が許されたのかと言うと、2人が「愛」であり「正義」であり「力」として描かれているからです。2人は飛行石という絶対的な神から選ばれし者であり、だからこそ破滅の言葉を口にして、ひとつの世界を壊滅させたることが出来たのです。2人は破滅の言葉によって死んでしまっていても不思議ではなかったはずです。しかし2人は生きて地上に帰ってきます。要するに神という絶対的な力によって決して死なないのです。
飛行石という神と同義の力の名のもとに破滅の言葉を口にしたシータとパズーは、2001年9月11日に起きたテロ事件を連想させます。富と力の象徴であった現代のラピュタとも言える世界貿易センターを自爆テロによって壊滅させたテロリストと通じるものがあるからです。テロリストは神を信じる、神の名において自爆テロを決行しています。テロリストと同じ信仰をする者にとっては、彼らは死んでも永遠に生き続けている存在です。そんな視点からシータとパズーを見ると、2人の愛は非常に恐ろしいものとして映るかもしれません。なぜなら2人の愛のなかには“破滅の言葉”を孕んでいたからなのです。

空から降ってきた少女シータ

ご存知のようにシータには飛行石の力があるので空から落下してきても地面に激突することはありませんね。このように宮崎駿氏は空を飛ぶ少女を物語に登場させることが多いのです。風の谷のナウシカはメーヴェを使って、千尋は白竜に乗って、魔女はほうきに乗って自由自在に空を飛ぶことが出来るのです。スーパーマンのように自らが空を飛ぶ能力を持っているわけではないのですが、これは宮崎アニメを読むうえで、とても興味深いところです。
人間が空を飛ぶということは重量の法則を超越することです。そして人間が現実世界のなかで生きていくには様々な規則や慣習に従わなくてはなりません。そんな窮屈な現実世界を生きていると、誰でも一度くらいは現実離れした世界に羽ばたいてみたいと思うのではないでしょうか?これが想像力の豊かな子供であれば、空を見ただけで一瞬にして空想の物語をつくりあげてしまうはずです。人は大人になるにつれ夢想家から、重力が支配する現実世界でのリアリストになっていきます。それでも現実を超越して生きてみたいという願いは残っているのです。“空を飛ぶ”という誰もが幼い頃に憧れていた夢を宮崎アニメで描いているわけです。これは宮崎アニメが子供だけでなく多くの大人たちからも支持されている理由のひとつなのかもしれません。

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天空の城ラピュタ

ユートピア 破滅の言葉 飛行石とは何か? 空から降ってきた少女シータ 天空の城ラピュタ 都市伝説


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ユートピア

天空の城ラピュタは、ラピュタ人の科学の粋を集めてつくられた人工的なユートピアです。それは同時に全地上を支配する恐怖の帝国として存在していました。ラピュタはロボットをはじめとする人類の英知を超えた科学技術によって管理された世界であり、そこにはラピュタ人をはじめ様々の生物が暮らしていたはずです。つまりラピュタとは人が創造した小さな地球のようなものです。
滅びの言葉によってラピュタが崩壊していくと、最後に残ったものは一本の大きな樹でした。この樹から連想するものは“生命の樹”です。生命の樹とは旧約聖書の創世記にエデンの園の中央に植えられた木のことで、カバラではセフィロトの木と呼ばれています。生命の樹に関する解釈は様々ですが、シータの「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットをあやつっても、人は土から離れて生きられないよ」というセリフから解釈すれば、土があるから生命の樹が育ち、人は地に足をつけてでしか生きられないという現実を突きつけているのです。子供たちが空想する「空を自由に飛びまわりたい」という夢から、現実へと引き戻されたわけです。それは子供が大人へと成長していくなかで、誰もが経験していくことなのかもしれません。

天空の城ラピュタは1986年に公開された宮崎駿氏が監督したスタジオジブリの第1作となるアニメーション映画です。公開から数十年経過した現在でもファンタジー作品として世代を超えて人気のある作品で、テレビでもたびたび放送されています。 このサイトでは宮崎アニメの代表作のひとつ「天空の城ラピュタ」を個人的な感想を紹介しています。本サイトに記載されている「天空の城ラピュタ」に関する記述はあくまで個人的な解釈であり、作品のイメージを壊したくない方は読まないことをお勧めします。また、本サイトを閲覧することで生じるいかなる事故や問題、被害についても当方は一切責任を負いかねます。ジブリ作品の著作権をもつ企業とも一切関係ありませんのでご了解下さい。


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破滅の言葉の意味するものに注目してみましょう。ラピュタが欲望に支配された大人たちの手の中に落ちそうになったとき、シータとパズーは破滅の言葉を口にすることを決意します。2人が破滅の言葉“バルス”と叫んだ瞬間に強烈な光が発せられ半球体の内部が轟音をたてて崩れ、凄まじい音をたててラピュタは崩壊を始めます。このときラピュタから逃げ出すドーラは次にようなセリフを言っています。「滅びの言葉を使ったんだ。あの子たちはバカどもからラピュタを守ったんだよ」。ここで気になるのが、ラピュタを“守る”という意味です。破滅の言葉とはラピュタを崩壊させる呪文なのに、その呪文がどうしてラピュタを守ることに繋がるのでしょうか?
つまりラピュタ帝国とはラピュタ人たちが英知を超えた科学技術を使って創造したユートピア(理想郷)であり、欲望に支配された大人たちが入ることのできない楽園なのです。その楽園を欲望に利用されるくらいなら、自らの手で楽園そのものを壊してでもユートピアを守ったということです。もっと言えば、欲望に支配された人間は、決して楽園にたどり着くことは出来ないというメッセージなのかもしれません。

シータとパズーにとって飛行石とは絶対的な存在です。それは「愛」であり「正義」であり「力」でもあります。絶対的なものとは「神」と同義と言えるでしょう。なぜならシータとパズーは飛行石の名において破滅の言葉を口にしているのです。なぜシータとパズーに破滅の言葉が許されたのかと言うと、2人が「愛」であり「正義」であり「力」として描かれているからです。2人は飛行石という絶対的な神から選ばれし者であり、だからこそ破滅の言葉を口にして、ひとつの世界を壊滅させたることが出来たのです。2人は破滅の言葉によって死んでしまっていても不思議ではなかったはずです。しかし2人は生きて地上に帰ってきます。要するに神という絶対的な力によって決して死なないのです。
飛行石という神と同義の力の名のもとに破滅の言葉を口にしたシータとパズーは、2001年9月11日に起きたテロ事件を連想させます。富と力の象徴であった現代のラピュタとも言える世界貿易センターを自爆テロによって壊滅させたテロリストと通じるものがあるからです。テロリストは神を信じる、神の名において自爆テロを決行しています。テロリストと同じ信仰をする者にとっては、彼らは死んでも永遠に生き続けている存在です。そんな視点からシータとパズーを見ると、2人の愛は非常に恐ろしいものとして映るかもしれません。なぜなら2人の愛のなかには“破滅の言葉”を孕んでいたからなのです。

ご存知のようにシータには飛行石の力があるので空から落下してきても地面に激突することはありませんね。このように宮崎駿氏は空を飛ぶ少女を物語に登場させることが多いのです。風の谷のナウシカはメーヴェを使って、千尋は白竜に乗って、魔女はほうきに乗って自由自在に空を飛ぶことが出来るのです。スーパーマンのように自らが空を飛ぶ能力を持っているわけではないのですが、これは宮崎アニメを読むうえで、とても興味深いところです。
人間が空を飛ぶということは重量の法則を超越することです。そして人間が現実世界のなかで生きていくには様々な規則や慣習に従わなくてはなりません。そんな窮屈な現実世界を生きていると、誰でも一度くらいは現実離れした世界に羽ばたいてみたいと思うのではないでしょうか?これが想像力の豊かな子供であれば、空を見ただけで一瞬にして空想の物語をつくりあげてしまうはずです。人は大人になるにつれ夢想家から、重力が支配する現実世界でのリアリストになっていきます。それでも現実を超越して生きてみたいという願いは残っているのです。“空を飛ぶ”という誰もが幼い頃に憧れていた夢を宮崎アニメで描いているわけです。これは宮崎アニメが子供だけでなく多くの大人たちからも支持されている理由のひとつなのかもしれません。

ジブリ作品の都市伝説といえば「となりのトトロ」が有名ですが、実は天空のラピュタにも都市伝説があることはご存知でしょうか?まず以前から噂されている「天空の城ラピュタ」には2つのエンディングがあるというもの。ラピュタのエンディングといえば、パズーとシータが海賊達と別れた後にラピュタの木がひたすら宇宙を漂いながらスタッフロールが流れるというものですが、この劇場版と違う幻のエンディングが一度だけTV放送されたという都市伝説です。それはシータの故郷に降り立った二人が握手をして別れる、というものです。未だに、その真偽は謎のままですが、一般的に劇場版映画をテレビ枠で放送するには、決められた放送時間内に再構築する必要があり、泣く泣くカットされるシーンも少なくありません。劇場版「天空の城ラピュタ」の上映時間は124分なので、CMの入るTV放送の時間枠に収め、カットされたシーンを補って物語を完結させるために、TV放送版のエンディングロールにイメージカットや絵コンテを使用した可能性があり、それが、もうひとつのエンディングとして記憶されてしまったのではないかという説が有力と考えられています。


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